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東京地方裁判所 昭和63年(行ウ)99号 判決 1991年7月16日

原告

吉田友彌

吉田雅則

右両名訴訟代理人弁護士

原後山治

三宅弘

近藤卓史

升味佐江子

被告

渋谷税務署長

鍵主潔

右指定代理人

武田みどり

外三名

主文

一  被告が昭和六一年一二月五日付けで吉田瑞穂の昭和五八年六月二〇日相続開始に係る相続税についてした再更正のうち、課税価格一八七一万七〇〇〇円、納付税額一九五万八〇〇〇円を超える部分を取り消す。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

事実及び理由

第一原告らの請求

主文と同旨

第二事案の概要

一当事者間に争いのない事実等

1  処分等の経緯について

(一) 吉田瑞穂(以下「瑞穂」という。)は、昭和五八年六月二〇日に死亡した父吉田増吉(以下「増吉」という。)を他の兄弟らと共に相続し(以下、この相続を「本件相続」という。)、昭和五八年一二月二〇日付けで、本件相続について、課税価格を二九四二万八〇〇〇円、納付税額を五四〇万二一〇〇円とする相続税の申告をした。

(二) その後、瑞穂は、昭和五九年九月一三日に死亡し、その妻である原告吉田友彌(以下「原告友彌」という。)及びその子である原告吉田雅則(以下「原告雅則」という。)が瑞穂を相続した。

(三) 原告らは、右瑞穂の本件相続に係る相続税につき、昭和五九年一二月一九日付けで、課税価格を一九一六万三〇〇〇円、納付税額を一五四万九二〇〇円とする更正の請求をし、次いで、同月二二日付けで、課税価格を三〇六二万四〇〇〇円、納付税額を六四六万四八〇〇円とする修正申告をしたが、昭和六〇年一二月二六日付けで、右更正の請求を取り下げた。

なお、証人奥野正夫の証言及び原告友彌の本人尋問の結果によれば、右更正請求あるいは修正申告等に関する経緯は、次のようなものであったことがうかがえる。すなわち、前記昭和五八年一二月二〇日付けの瑞穂の本件相続に関する相続税の申告は、同人の顧問税理士であった奥野税理士の作成した申告書によって行われたものであり、右申告では、相続財産のうち後記本件土地について、これを自用地として評価した課税価格が申告されていた。ところが、右瑞穂の死後、原告らは、本件土地は後記のとおり借地権の負担がある土地として評価すべきものであるとして、奥野税理士の手を介することなしに、右更正の請求を行った。その後、税務調査の際に相続財産について預金等で落ちているものがあるとの指摘がなされたため、再び奥野税理士の手によって、本件土地の評価については当初申告の際の自用地としての評価を維持したままで、相続財産に右預金等を追加して、右修正申告が行われた。また、右更正請求の取下げは、後記のとおり、被告がいったんその請求を実質的に認める内容の更正を行うこととなったことからなされたものである。

(四) 被告は、右瑞穂の本件相続に係る相続税につき、昭和六〇年一二月二六日付けで、いったん右原告らの更正の請求を実質的に認める内容の、課税価格を一八七一万七〇〇〇円、納付税額を一九五万八〇〇〇円とする更正(以下「本件更正」という。)を行った。ところが、昭和六一年一二月五日付けで、課税価格を三〇六二万四〇〇〇円、納付税額を六四六万四八〇〇円とする再更正(以下「本件再更正」という。)を行うに至った。

(五) そこで、原告らは、被告に対し、昭和六二年二月六日付けで本件再更正について異議の申立てをしたが、被告は、同年六月一七日付けで、右申立てを棄却し、更に、原告らは、国税不服審判所長に対し、同年七月一六日付けで審査請求をしたが、同所長は、昭和六三年五月一七日付けで右請求を棄却した。

2  本件相続財産の課税価格について

本件相続にかかる相続財産の瑞穂の相続分の課税価格等については、別紙物件目録記載の土地(以下、同目録記載一ないし三の土地を「甲土地」、同目録記載四の土地を「乙土地」といい、右「甲土地」及び「乙土地」を併せて「本件土地」という。)を除く相続財産の相続分の課税価格が一五九六万〇一八〇円となることについては当事者間に争いがなく、専ら本件土地の相続分の課税価格をいくらとすべきかの点のみが争いとなっている。

二争点

本件土地の瑞穂の相続分について、被告は、その課税価格を自用地としての評価額である一四六六万三八二〇円とすべきものと主張する。これに対し、原告らは、昭和五八年六月二〇日の本件相続開始時において、本件土地について瑞穂が建物の所有を目的とする賃借権を有していたから、その課税価格は、自用地としての評価額から借地権の価額を控除した額である二七五万六八二〇円とすべきであると主張する。

したがって、本件の争点は、本件土地について、昭和五八年六月二〇日の本件相続開始の時点で、瑞穂が建物の所有を目的とする賃借権を有していたかどうかの点にある(なお、右のとおり、本件土地を自用地として評価した場合の評価額が一四六六万三八二〇円となり、借地権があるとして評価した場合の評価額が二七五万六八二〇円となること自体は、いずれも当事者間に争いがない。)。

第二争点に対する判断

一1  <証拠>によれば、次の事実を認めることができる。

(一) 増吉は、大正一四年ころ、東京に出て土木建築を業とする吉田組を創設し、妻さよと結婚して七男三女をもうけた。その子らのうち、四男の瑞穂と五男の耕陽が吉田組で稼働するようになったが、耕陽が昭和三二年ころ吉田組を辞めたため、以後は、瑞穂だけが吉田組にとどまり、父増吉の後継者として増吉を支えて仕事を続けていた。その後、昭和三九年一〇月に瑞穂と原告友彌は結婚し、これを機に瑞穂は、増吉と生計を別にするようになり、更に、昭和四四年ころには、増吉夫妻と別居するようになった。瑞穂は、昭和四九年に至って、正式に吉田組の代表者となり、更に、昭和五一年には、吉田組を株式会社ヨシダコンスに改組し(以下、この会社を「ヨシダコンス」という。)、瑞穂がその代表取締役社長に、増吉が代表取締役会長に、それぞれ就任した。

(二) 昭和五一年当時、増吉所有に係る本件土地上には、ヨシダコンスの事務所兼増吉の自宅、共同住宅二棟(増吉所有の貸家)等があったが、これらの建物が老朽化していたこと等から、昭和五一年終わりから同五二年初めころ、増吉と瑞穂が相談のうえ、本件土地上に鉄筋コンクリート造りのビルを新築することとなった。瑞穂は、当初は、ヨシダコンス名義で右ビルを建築することを計画したが、その後、ヨシダコンスの顧問税理士であった奥野税理士から瑞穂の個人名義で右ビルを建築した方が税金対策上有利であるとの助言を受けたこともあって、瑞穂の個人名義で右ビルを建築するとの計画に変更し、昭和五三年一〇月ころに乙土地上に「ヨシダペアランドB棟」と称する建物を建築し(<証拠>)、次いで昭和五五年三月ころに甲土地上に「ヨシダペアランドA棟」と称する建物を建築した(<証拠>)。

(三) 右建物の建築に際して、瑞穂は東京都住宅建設資金の融資のあっせんを受けており、その手続のために東京都に提出された昭和五三年九月一四日付けの書面では、増吉は瑞穂を本件土地の借地人と表示している(<証拠>)。また、右ヨシダペアランドB棟の完成のころである昭和五三年一〇月三一日付けで、瑞穂及び原告友彌によって「ヨシダペアランド地代計算書」と題する書面(<証拠>)が作成され、これが増吉に手渡されており、右書面では、乙土地の地代を一か月七万三八〇〇円、甲土地の地代を一か月九万六四〇〇円(一坪当たり各八〇〇円)とし、右の金額を、乙土地については昭和五三年一一月分から、甲土地については昭和五四年のヨシダペアランドA棟完成時から、それぞれ支払うものとされている。そして、現にその後、瑞穂から増吉に対して、右のとおり定められた金額に見合うかのような金員が毎月地代として支払われることとなり、その支払は増吉の死亡するまで続いており(<証拠>)、また、右の地代として支払われた金員については、瑞穂の昭和五四年分及び昭和五五年分の所得税の確定申告において、これが不動産所得の必要経費として計上されるとともに(ただし、その計上額は、実際の支払額よりも過大であった。)(<証拠>)、右各年分の増吉の所得税の確定申告においても、これが不動産所得として申告されている(<証拠>)。

2  右の事実関係からすると、瑞穂と増吉との間で、遅くとも昭和五三年一〇月三一日ころまでに、瑞穂が増吉から本件土地を建物所有目的で賃借する旨の賃貸借契約(以下「本件賃貸借契約」という。)が成立するに至っていたとの事実を、直ちには否定し難いような事情が存在しているものというべきである。

二1  これに対し、被告は、まず、右<証拠>の計算書が単なるメモ書きに過ぎず、その成立自体が不確かであって、増吉本人が作成にかかわった形跡もないから、本件賃貸借契約が成立したとすることは疑問であると主張している。

しかし、原告友彌は、その本人尋問において、右計算書は、瑞穂の指示によって原告友彌がその大部分を作成し、これに瑞穂がいくつかの事項を書き足し、更に、これを受け取った増吉は、その本文に受領日を記載するとともに、欄外の記載事項を書き加えたものであると供述しており、増吉の五男である証人吉田耕陽も、右の記載の筆跡が増吉のものであることを認める証言をしている。そうすると、右「ヨシダペアランド地代計算書」の作成には増吉も関与しており、増吉がその内容を了解していたことは明らかなものというべきである。

2  また、<証拠>(原告友彌作成の供述書)によれば、右の地代の支払が開始されるに当たって、昭和四四年の別居以来瑞穂の続けてきた父母への生活費の支払が打ち切られ、いわば従来の生活費の支払に代えて右の地代の支払が行われるようになったものであるようにもうかがえる。

しかし、親が土地を所有している場合に、その土地を借り受けた子が支払う地代収入が親の生活費に充てられているため、実質的にみてその地代の支払が生活費の支払の性質をも持つとみられる場合に、そのことから直ちに右土地についての賃貸借契約関係の成立が否定されることとなるものでないことはいうまでもないところであるから、右のような事実の存在も、未だ本件賃貸借契約の成立を否定する根拠としては、不十分なものといわなければならない。

更に、<証拠>によれば、本件土地上に前記建物を建築するに当たって瑞穂から相談を受けた奥野税理士が、右建物をヨシダコンスの会社名義で建築するより瑞穂の個人名義で建築した方が税金対策上有利であるとの助言をした趣旨は、瑞穂が増吉から本件土地を使用貸借契約によって借り受けることとするよう助言することにあったことが認められる。

しかし、前記のとおり瑞穂が増吉に対してその後現実に地代名目で相当額の金員を支払っていることからすれば、瑞穂は、右のような奥野税理士の助言に従わないで、あるいはその助言の趣旨を正解しないで、増吉から本件土地を賃借するに至ったものとも考えられるところであり、右の奥野証言も、未だ本件賃貸借契約の成立を否定するだけの根拠となるものとはいい難いものと考えられる。

3  次に、<証拠>によれば、瑞穂は、前記のとおり昭和五四年分及び昭和五五年分の所得税の確定申告でいったん本件土地に関する支払地代を必要経費として計上しておきながら、その後昭和五六年一〇月に行った修正申告においてこれを撤回し、その後の年分の所得税については、本件土地に関する支払地代を必要経費として計上していないことが認められ、被告は、このことを理由に、本件賃貸借契約の成立を否定すべきであると主張している。

しかし、<証拠>によれば、右の修正申告は、税務調査の際に税務署側から支払地代を必要経費として計上することを否認されたことから、やむなく行ったものであり、瑞穂自身右支払地代が必要経費に当たらないとされたことに不満を示していたことが認められるから、これも本件賃貸借契約が成立していたとする前記認定を妨げるに足りる事情とするには、なお疑問があるものといわざるを得ない。

また、<証拠>の一から一七までの昭和五七年一月以降の本件土地の地代の支払関係を示す振替伝票では、右地代の額が一か月一一万〇二〇〇円とされていて、原告ら主張の額一七万〇二〇〇円より六万円も少なくなっていることが認められ、被告は、この点を理由に、本件土地の地代の支払に疑問を呈している。

しかし、この点については、前記のとおり税務署側が本件土地の支払地代を必要経費として認めないとの態度を取ったことから、瑞穂が帳簿上の右支払地代額を少なくして節税を図ったものであるとする原告友彌の本人尋問における供述にも首肯できるところがあり、このことから直ちに本件土地の地代支払の事実を否定することには疑問があるものと考えられる。

更に、被告は、瑞穂が本件土地の使用を開始した時点で増吉に対していわゆる権利金を支払っていないことから、本件賃貸借契約の成立が認められないとも主張している。

しかし、法的にみる限りは、そもそも権利金の支払が賃貸借契約の成立要件とされるものでないことは明らかであり、また、瑞穂が増吉と親子の関係にあったことからすれば、本件賃貸借契約について瑞穂が増吉に対して権利金を支払っていないことも、ことさら異とするには足りないものとも考えられる。

4  更に、<証拠>(遺産分割協議書)及び<証拠>によれば、増吉の死亡に伴う本件相続に際しての遺産分割協議においては、瑞穂から本件土地上には賃借権が存在しないことを前提とした価格計算に基づく分割案が出され、これによって遺産分割協議が成立していることが認められ、このことからすれば、瑞穂自身がその時点では本件土地上に自己の賃借権が存在しないものであるとの認識を持っていたかにうかがわれないでもない。

しかしながら、<証拠>(奥野税理士作成の報告書)によれば、右のように瑞穂が本件土地上に賃借権が存在しないことを前提とする遺産分割案を提出し、これによって相続人間で分割協議が成立するに至ったのは、瑞穂あるいは各相続人に対し、奥野税理士から、本件相続の相続税の申告に関して本件土地上に賃借権が存在することを前提とした取扱いはできないとの説明が行われ、各相続人がその説明内容に従うこととなったことによるものであることがうかがえるのであって、このような事情からすれば、右のような事実が存在することから直ちに、本件賃貸借契約の成立が否定されるとすることにも、疑問があるものというべきである。

5 そもそも、本件土地上に賃借権が存在しないことを前提として被告がした本件再更正の適否が争われている本件訴訟においては、本件土地がその上に賃借権の負担の存在しないものであるとの点については、課税庁たる被告に立証責任があることはいうまでもないところである。

そうすると、一面では、被告も指摘するとおり、本件土地上に賃借権が存在していたとすることにも種々の疑問点があることは否定できないにしても、他方、前記一の1において認定したような事実関係に加えて、被告自身が原告らからの前記更正請求に対応していったんは本件土地上に瑞穂のための賃借権が存在していることを認める内容の更正を行っていること(もっとも、<証拠>によれば、右の更正請求に際しては、原告友彌は増吉の他の相続人には無断でその名前を使って同時に全相続人の名前で同様の請求を行っており、これに対して被告が右更正を行ったところ、これを知った他の相続人から被告に対して右瑞穂の賃借権は認められないとの異議が出され、そこで被告の方では、右更正をいわば撤回する趣旨で、本件再更正を行うに至ったものであることが認められる。しかし、課税庁である被告が全体としての相続財産の価格が大幅に低下することとなるような右更正を行うに当たっては、それなりの資料や調査結果に基づいて、右賃借権が認められるとの判断を行っているはずである。)をも合わせ考えると、本件相続開始の時点で本件土地上に瑞穂のための賃借権が存在しなかったとすることにも、なお疑問の余地があるものとせざるを得ない。結局、右の借地権が存在していないとの点については、なおその証明が十分でないものというべきである。

三以上のとおり、本件土地が昭和五八年六月二〇日の本件相続開始の時点で建物の所有を目的とする賃借権の負担のない土地であったものとすることはできないこととなるから、本件土地の相続分の課税価格は、自用地としての評価額から借地権の価額を控除した二七五万六八二〇円とすべきこととなる(前記のとおり、自用地としての評価額から借地権の価額を控除した金額が二七五万六八二〇円となることについては、当事者間に争いがない。)。

したがって、瑞穂の相続分の課税価格は、前記当事者間に争いがない一五九六万〇一八〇円に右二七五万六八二〇円を加算して一八七一万七〇〇〇円となり、その納付税額は、一九五万八〇〇〇円となる(この税額算出の方法自体については、当事者間に争いがない。)。

よって、被告が昭和六一年一二月五日付けで吉田瑞穂の昭和五八年六月二〇日相続開始に係る相続税についてした再更正のうち、課税価格一八七一万七〇〇〇円、納付税額一九五万八〇〇〇円を超える部分は、違法なものとしてその取消しを免れない。

(裁判長裁判官涌井紀夫 裁判官市村陽典 裁判官近田正晴)

別紙物件目録

一 所在 東京都渋谷区代々木二丁目

地番 三〇番一

地目 宅地

地積 19.83平方メートル

二 所在 東京都渋谷区代々木二丁目

地番 三〇番二

地目 宅地

地積 99.17平方メートル

三 所在 東京都渋谷区代々木二丁目

地番 三〇番八

地目 宅地

地積 283.96平方メートル

四 所在 東京都渋谷区代々木二丁目

地番 三〇番三

地目 宅地

地積 217.94平方メートル

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